前回、「長い間待ち望んでいたチャンスを逃したにもかかわらず、どうして傷が浅くて済んでいるのか」ということについての考察をお話ししました。
事情を知っている友人にその話をしたところ、興味深い意見をもらえたので、皆さんにも共有します。
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前回にもお話しした通り、私は、人間が命ある有限の存在であり、時間の進行に抗えないということを強く意識しています。
そして、そのことを悲観的に捉えざるを得ない(と、私自身は思っています)体験を繰り返してきたので、チャンスを逃してしまったときに「あれが欲しかったのに、もう二度と巡ってこない……もう生きている間に経験できる可能性はないんだ……」と落ち込んでしまいがちです。
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しかし、友人はチャンスを逃したときに「今は“その時”ではなかったんだな」と考えるため、大して落ち込むことがないそうです。
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“その時”というのは、適切なタイミングのことを指します。
個々の事例によって異なる「何らかの理由によって、今回は適切なタイミングではなかったから、チャンスを掴めなかった、あるいは機会を見送ったのだ」と考えるということだと思います。
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それが「チャンスを掴めなかったのには理由がある」という考え方だとすると、前回挙げた「自分のために、自分で決めたのだと納得している」という3つの原因の内のひとつと似ているような感じがします(「自分の意思でチャンスを見送ると決めた」という理由がある、ということ)。
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しかし、ある点において両者は異なっています。
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それは、私の考え方が「自らの意思でチャンスを見送り、かつその理由を自覚している」というものであるのに対し、
友人の考え方は「自らの意思によってなのか、どんな理由があったのかは定かではないが、何らかの理由でチャンスを見送ることになった」というものだという点です。
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私たちは、多くの場合、世界のことを分かっているかのように確信をもって行動していますが、よく考えると、経験則や予想、勘、思い込み、誰かの意見などに頼っているだけで、ほとんど何も分かっていません。
自分のことでさえ、分からないこと、知らないことだらけです。
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世界に対する理解を深めることが学問の存在意義のひとつだと考えていますが、人それぞれの事情や、人それぞれを取り巻く環境、そしてそれらの因果関係について完全に解明することなど、到底不可能だと思います。
多くの人の知識が蓄積された集合知にも無理難題なのに、人ひとりで考えて分かることが一体どれほどあるでしょうか。
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少し投げやりな言い方になってしまいましたが、要するに、私たちは起こったことの全てをはっきり理解することはできないということです。
起きたことに対して、何が原因だったか、何が関与してそうなったのか、ある程度までは推測することができますが、それが全てだと断定することはできません。
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チャンスを逃したときもまた、チャンスを逃したという結果がある以上、それに至る原因があるはずです。
しかし、その原因を完全に特定/断定することはできません。
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「自分がそう決めたから」というのも、突き詰めて考えるなら原因のひとつでしかありません。
追いかけても追いかけても、本当の原因なんて分からないのだと思います。
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全ての原因を解き明かすことはできないという前提があると、「今は“その時”ではなかった」という曖昧な納得の仕方の方が、完全に正しいとは言えないとしても、「どうしてチャンスを逃してしまったんだ……」とただ延々と嘆き続けるより、自分の心にかかる負荷が小さいように思います。
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そして、心にかかる負荷を小さくすることで、「次また同じようなチャンスが来たときのために準備しておこう」とか、「同じようなチャンスが巡ってきたら次はこうしよう」などと考える余地や、別の大切なことに意識を向ける余裕が生まれ、何もかも諦めてしまわない限り、最終的に良い結果を導くことができるのではないかとも思えます。
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良いチャンスを掴んで上手く立ち回れたら、良い思い出/良い経験になるのは当然ですが、その時チャンスを掴めなくても、それが全くの悪い思い出/悪い経験であり、この先もずっと不幸であることが決まっているなどということはないはずです。
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友人の考え方は、自分を傷つけない仕方、かつ、それなりに正当性のある見方でとりあえず自分を納得させて、次へ進む方法だと思いました。
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次に進めばまた何かがあるはず、何か見つけられるはず……
そう願いながら、より良い道を選べるよう、しっかりと前を向いていけたらと思います。
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あの時も、あの時も、チャンスを掴めず悔しい思いや悲しい思いをしたこの唯一無二の自分が、これからどのように楽しみ、活躍し、幸せになるのか。
いくつもの困難があってもめげずに生き続けているこの健気な自分を、これからどうやって幸せにするか……。
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今、この文章を書きながら浮かんできた言葉です。
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まだ考えがまとまっていませんが、「今は“その時”ではなかった」と心から思えたら、すでに起きたことをちゃんと受け入れて(ある意味、諦めがついて)、ちゃんと前を向けるようになっていく気がしました。
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星見

