学生時代、私は何かと集団のまとめ役を任されることの多い学生でした。
そうした経験の中で、「物事に対するやる気の度合いは人それぞれ違っている」という、分かる人からすれば至極当然の事実に困惑し、心を乱すことが多くありました。
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今思えば当たり前も当たり前の事実ですが、10代の頃は自分と周りとのギャップにひどく苦しみましたし、推測ではありますが、周りの人々もまた、それによって苦しい思いや嫌な思いをしていたのではないかと思います。
その頃は「説得すれば相手のやる気を引き出せる!自分と同じくらい頑張ってほしい!」と、どんな人にも辛抱強く説得を試みていましたが、現在は「とにかく自分のやるべきこと・できることを精一杯やる」というところに落ち着きました。
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まず自分のことに集中しようと思い始めたのは(そう思おうとしてそう思い始めたわけではないのですが)、20歳も過ぎた頃です。
大学時代、コロナ禍でサークルの運営に苦戦していたとき、別のサークルを運営していた友人がこう言いました。
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「僕たちは、既にある焚火に薪をくべて火を絶やさないようにすることしかできない。でも、火を絶やさなければ必ず人が集まってくる。僕らが情熱を燃やし続けよう」
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私(と同輩たち)が運営していたのは約100人規模の大きなサークルで、私がまとめる部署だけでも20人ほど在籍していたため、異常事態でてんやわんやの中、全員の様子を把握し働きかけを行うのは到底不可能でした。
やるべきことが山積みな上に、厳しいタイムリミットがある……
できることが限られる中で自分がどう動くべきか考える際、いつもこの友人の言葉を思い出していました。
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自分がどれだけ頑張っても、同じように尽力できる人もいれば、注力できない人や離れていく人もいる。
どうやってもそれは変わらないのだとしたら、私が情熱を燃やし続けることで、せめて「一緒に火を囲みたい」と思ってくれる仲間に、この熱を届けようじゃないか……と念じて、懸命に活動を続けました。
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その結果、良いことも悪いこともありました。
しかし、自分が立てた大きな目標を達成することができただけでなく、任期の終わりにもらった色紙に「あなたがいてくれたおかげで頑張れた」「あなたの頑張る姿を心の支えにしていた」といったメッセージが書いてあるのを見たときに、私の熱は彼らに届いていたのだと報われた気持ちになりました。
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自分のやるべきこと・できることは何かしっかりと考え、それを精一杯やり抜くことができれば、賛同者や協力者、見守ってくれる人が現れるということ。
そして、“皆同じ”でなくとも、大きなことを成し遂げられるということを学びました。
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大事なのは皆が同じ熱量(高火力)で尽力することではなく、他者への敬意と思いやりを忘れず、それぞれが自分にできることを、できる範囲で行うことだと思っています。
思えば、人それぞれ興味や能力、生活環境など、事情がまったく異なるのですから、同じ事柄に全く同じ熱量・やり方で当たるなどというのは不可能なことでした。
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相手には相手の事情があると思えば、自分と違う熱量・やり方の人に対してもカリカリせずに済みます。
不必要な衝突や争いを避けて、必要なすり合わせをする。
これがようやく最近になって、少しずつできるようになってきました。
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まだまだ課題がたくさんありますが、できたこと・できるようになってきたことをきちんと認めて、この先の助けにしたいと思います。
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皆さまもぜひ、自分は/あの人は今どこに情熱の火を灯しているのだろう……どこに薪をくべたいのかしら……と、思いを巡らせてみてください。
きっと面白いことが起こるはずです。私も自分の可能性に大きな期待を寄せています。
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それでは、また…………
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星見